あみん

先日、岡村孝子さんのコンサートに行きました。
素晴らしいコンサートで、岡村孝子さん素敵でした。
正直言って、自分はにわかファンで、それまで買ったCDは「ソレイユ」のみでした。
だから、今回もツアーの千秋楽なので、全国から集った、岡村孝子さんの本当の大ファンに申し訳ない感じがします。


急激にファン度が上がったのは、5年ぐらい前からYouTubeを見まくっていて、そこで岡村孝子さんのDVD「アンコール V」の動画の一部がありました。
それは、1日限りの「あみん」と、その特別ムービー。
「天晴な青空」を聞いた時に、もう二度と会うことがないだろうと思っていた鹿児島当時の友人との、ある偶然からの再会でき(まだ電話や手紙のみでしたが)、その後鹿児島で現実に再会できました。そして「天晴な青空」に不思議な感動が芽生えてしまいました。

それから、岡村孝子さんのCDを買い、DVDを買い、本を買い(入手できない物は中古)、今ではすっかり岡村孝子さん、あみんの大ファンになっています。

「あみん」の話でしたね。
ポプコンでデビューした「あみん」、デビュー曲「待つわ」は素敵な曲でしたが、その頃ひねくれ者の自分は、女子大生デュオとかの話題が目立ち、FMからのエアーチェックで聴く程度でした。
それに、自分も大学生で、周りから「さだまさし」にソックリと言われて、実際知らない人から声をかけられたほどでした。おかげで高校時代は聴いていた「さだまさし」に対して拒否反応が出てしまい、(モテなかったからw)距離を置くようになってしまいました。
「あみん」の名前の由来が、さだまさしの「パンプキンパイとシナモンティー」の歌詞に出てくる喫茶店の名前から来ていると知り、聴くことがなくなりました。
だから、知らないうちに解散し、「待つわ」と言う曲だけがテープに残っている程度でした。
今考えれば、モテなかったのは自分の責任、さだまさしは関係ないのに、それで近づいてくる女性が嫌でした。
当然「あみん」にも、何の関係はありません。


それで、岡村孝子さんがソロデビューしたと聞いた時も、それほど印象に残ってませんでした。
でも「TODAY」を聴いた時に、いい曲だなと思いアルバム「ソレイユ」買いましたが、それだけでした。ライブやコンサートに行くこともなかったですし、じつは今回が初コンサートでした。
今でも「ソレイユ」はアルバムとして素晴らしいですし「TODAY」も名曲です。
「あみん」の再活動も知っていても、紅白歌合戦も見ることがないので、出演していたことも知らなかったりします。

それが、自分にも色々あり、岡村孝子さんにも色々あり、嫌でも入ってくる情報、ネットをやっていると特に歪曲された情報がいくらでも入ってきます。
しかし、そのことも、新聞に掲載されている岡村さんのコラムがネットでも読むことが出来て、スッキリさせてくれました。

今では、「あみん」岡村孝子」オリジナルアルバムはすべて購入でき、セレクションアルバムはほとんど購入、セルフカバーも一般販売されている物は購入できました。
考えてみたら、自分自身がここまでハマってしまうとは思わなかったです。

まだしばらくは広島でのコンサートはないだろうなって思っていたら、まさかの地元でのコンサート、感動をありがとうと言いたいです。
そして、いつかは「あみん」のコンサートも・・・って思うのは贅沢かな。

全国のコンサートを回っていらっしゃる本当の大ファンの方、こんなにわかのファンのブログごめんなさい。

モテ期? その1

前回「ふるさと」について書きましたが、その続きみたいなものかな。

これは自慢話でもないし、僕は今までの生涯でモテたことがありません。
だけど、これは「モテ期」?と言っていいのかわかりませんが、唯一の「モテ期」にさせてください。
先日のブログ書いた、ふるさとでのことなので恋愛とかそんなものではないです。

その頃、近所には一つ年上の3人の女の子達が住んでました。
当時の僕は、人一倍、気が弱く、虚弱体質で、弱虫で、泣き虫した。
そんな自分をいじめる男の子から守ってくれるのが、この3人の女の子達です。
それで、よく遊んでくれましたが、遊ぶのはおままごとや、お人形さんごっこなど、女の子の遊びの相手。要するに、ままごとの男役。(笑)
ゴム跳びや縄跳び、石蹴りなど、よく遊びました。
時には僕のことを取り合うことも・・・
ただ、おもしろいのは、女の子達は僕のことを男として扱ってくれて、僕も自分が男だと自覚しているので、一人で遊んでいる時などはチャンバラのまねや、服の色なども「青」や「緑」を好み、「赤」や「黄」は女色と着ることを拒んでいました。

おそらく。彼女たちにとって僕は弟みたいな存在だったのでしょうね。
実際、他にも姉と同じぐらいの女の子達にもかわいがってもらいました。

今は、その女の子達もどうしているのやら・・・、ひとりは家も職場もわかっているのですが、ずいぶん長い間合うこともないですね。
他の二人も、もしかしたらすれ違ったりしているかもしれませんが、お互いわからないでしょう。

幼なじみ、素敵な言葉です。

望郷

なぜ、このようなブログを書き始めたのか。
マメに書いていませんし、気が向いた時しか書きませんが・・・(^_^;)

ノスタルジー、自分のくだらない思い出を、ブログに書いていってますが、つまらなく感じる方がほとんどでしょう。
変に自慢話的に感じる方もいらっしゃるかもしれません。
要するに、自己満足です。(ブログやSNSのほとんどは、そうですね。)

ただ、頭の中に残っていることを、少しだけでも書き記したいという、僕自身のわがままです。
忘れたことも忘れたいこともありますが、都合?のいいことだけ書いていきたいと思いますので、よろしくお願いいたします。

ふるさと

最近、夢にも出てくる「ふるさと」と呼べる風景がある。
産まれて、5~6歳ぐらいまで住んでいた場所。

近くには神社があり滝があり、川が流れ、小さな山の麓にあった町営住宅。

井戸の手押しポンプ、共同風呂、台所は土間だった。
部屋は三畳と四畳半だけ、でも記憶に残っている部屋は広く、かなり曖昧なところもある。

まだ、馬が畑を耕し、気の弱い小さい自分はそれが怖くて、通らなくては行けないあぜ道を、姉にしがみついて通っていた。

近くにある小さなお店は、おばあさんが店番をしていて、お使いで行くと必ずバラ売りで1個1円のキャラメルをくれた。(その店も今はない)


去年、改めてその場所に行ってみた。(同じ町内なのにねえw)
それまでも、何度も近くを通っていたし、行けばよかったと後悔もしている。
考えてみれば中学校も近くだった。

 

小山の前には、新幹線のトンネル出入口、その手前に今はない住んでいた家の場所があった。(駐車場になっていた)

近所の神社の少し手前の道にある赤い鳥居、凄く小さく感じる。
今は歩道になり、なんだか複雑な感じがする。
考えてみたら、そこの下の道でお祭りの縁日の屋台がたくさん出ていた。
十字路の横の道がバス通りだったのは、いつ頃までだったのだろう。

 

変わった物、変わっていかなければいけない物、変わらない物が残る。

 

その今を、もう一度行ってみようと思う。

過ぎ去った日々

なんだかんだで言い訳だけど、ブログが放置されたまま更新されませんでした。
書くネタがなかったわけではないけれど、1月の初めから今まで放置状態。

まあ、またマイペースになりますが、少しづつ書いていこうと思います。

手紙

手紙って好きなんですよ。
でも、もうかなり前から書くのももらうのも少なくなり、今では年に1通あるかないかの状態です。

ネット通信によるメールやメッセンジャーの時代、自分たちが若いころだって電話で済ませる人がほとんど。携帯電話が出てメールができるようになると一気に減りましたね。

ちなみに自分は電話というものが苦手なので、携帯電話もかけることがほとんどないです。

話を戻します。手紙が好きなのは文通の関係があるからかな。
このことは、長くなりそうなので、また今度後日書きます。

友達にも家電話か手紙でないと連絡できない人がいます。

自分は字が下手なのに、書くことは好きで、人には見せられませんが色々と書いたりしています。
ただ、字が下手なのがコンプレックスというか、人に見せるのが苦手だったので、簡易ワープロが出た時には、即効で買いました。(笑)

ですから、手紙もワープロを使って出しています。
せめて挨拶と名前は手書きでという、変なこだわりがあり、内容が主なんだからと割りきっていますが、味気ないですよね。

いただく手紙は手書きの方が多いですね。やっぱり、そういうのってうれしいです。

ありがたみが違うといいますか、温かみがあり心が直に伝わるような気がします。

手紙を出す相手は、やはり女性が多く、男性に出したことは何通ぐらいかな?
本来、筆不精なので、男性より女性に出すほうが楽しいですし丁寧に書きます。(笑)


その筆不精も、ここ数年は本来の自が出て、去年は出したかなっていったような感じです。
SNSには書いても、メール、メッセンジャーも少なくなったような気がしますし、いいのか、よくないのか、わからないですね。


こうやっている間に、今年の年賀状をまだ出していないので、早く仕上げて出さないといけませんね。(笑)

新年

明けましておめでとうございます。

今年からブログを再開していこと思い、くだらないことをグダグダ書いて、読み応えのない内容になりそうですが、温かい目で見てやってください。

とはいえ、新年早々、体調を崩し、食道あたりの痛みが増してきて息苦しくなったので、実家から自宅へ帰宅し、しばらくすると喉の痛みが、そして熱が出てしまいました。

1年の経は元旦にあるといいますが、出だしでコケている今年は、波瀾万丈な歳になりそうです。
それはそれで、じっくりと楽しみますので、本年もよろしくお願いいたします。